2010年06月03日
沖縄散歩~『旧海軍司令部壕』へ平和学習~
今から64年前、日本は戦争をしていました。
沖縄はその時、地獄の戦場となりました。
先日、慰霊の日が近いこともあり、恥ずかしながらこの年になって初めて「旧海軍司令部壕」へ平和学習に行って来ました。
入り口付近の展示資料室には大田司令官の遺品や海軍司令部壕から発信された電報や鉄道のレールで作った手製の銃剣など沖縄戦に関わるモノが多数展示されており、見ているだけでその時の戦争がいかに悲惨な状況であったかが伝わってきました。



展示資料室には、戦時中の写真や武器・薬品等の本物の展示がされてたり、戦時中の月ごとに何があったかという時代背景が書かれてたりして、僕なりにいろいろ考えることが多くありました。

旧海軍司令部壕の入り口です。
実際、中に入って行くと、
壕の中は薄暗くて湿っぽく手榴弾で自決した時の痕が当時のまま壁に残っており、何とも言えない気分になり、心が痛く感じました。
また今年もやってきます。
6月23日 「慰霊の日」
1945年6月23日、糸満市摩文仁(マブニ)で、第32軍司令官 牛島満中将と同参謀長 長勇中将が自決し、日本軍の戦闘が終わった日です。
沖縄戦は本土決戦の時間稼ぎのための「捨て石作戦」として県民に多大な犠牲を強きました。
日米両軍の激戦が住民を巻き込み、20万人余に上る犠牲者数。
住民の「集団自決(強制集団死)」も多くあったと言われてます。
沖縄県は、沖縄戦が年ごとに忘れ去られていることの反省と、世界の恒久平和への希求、戦没者の霊を慰めることを目的として、この日を沖縄独自の祭日に制定しました。
県は毎年この日に、戦没者追悼式を行っています。
僕は今回の平和学習で感じたことは、
戦争が終わって64年になりますが、僕たち世代が本気で真面目に考えていかないといけないと思いました。
それを心で受け止めてはじめて「ウチナ-ンチュ」と、誇りを持って言えるんじゃないかと・・・。
今日も訪問ありがとうございました。
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実際、中に入って行くと、
壕の中は薄暗くて湿っぽく手榴弾で自決した時の痕が当時のまま壁に残っており、何とも言えない気分になり、心が痛く感じました。
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6月23日 「慰霊の日」
1945年6月23日、糸満市摩文仁(マブニ)で、第32軍司令官 牛島満中将と同参謀長 長勇中将が自決し、日本軍の戦闘が終わった日です。
沖縄戦は本土決戦の時間稼ぎのための「捨て石作戦」として県民に多大な犠牲を強きました。
日米両軍の激戦が住民を巻き込み、20万人余に上る犠牲者数。
住民の「集団自決(強制集団死)」も多くあったと言われてます。
沖縄県は、沖縄戦が年ごとに忘れ去られていることの反省と、世界の恒久平和への希求、戦没者の霊を慰めることを目的として、この日を沖縄独自の祭日に制定しました。
県は毎年この日に、戦没者追悼式を行っています。
僕は今回の平和学習で感じたことは、
戦争が終わって64年になりますが、僕たち世代が本気で真面目に考えていかないといけないと思いました。
それを心で受け止めてはじめて「ウチナ-ンチュ」と、誇りを持って言えるんじゃないかと・・・。
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Posted by CPマエモト(内気なコミュニケーションプランナー) at 19:00│Comments(0)
│沖縄散歩
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