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2010年06月29日

沖縄の起業家インタビュー~「与那原家」~第一章

地元に愛され続けてる「与那原そば」


「与那原家」上原繁猛社長インタビュー


沖縄の起業家インタビュー~「与那原家」~第一章

~第1章~


私も小さい頃からお世話になっていました(笑)「与那原家」さんですが、創業何年になりますか?

創業して今年で28年になります。実は、私は「薬剤師」なんですよ。それが今ではここで、「そば屋」をやっています。

本土の大学を卒業して、そのまま(本土で)就職したかったのですが、薬局を経営していた両親に泣きつかれまして、沖縄に帰ってくることになったんです。
元々、気性の荒いところもあったものだから、そうでもしないと二度と沖縄に帰ってこないと思ったんでしょうね(笑)。

それで沖縄に帰ることになりました。
その条件として、「(薬局の)店については、経営を全面的に俺に任せてもらう!」と約束させました。まあ、親からすれば20歳そこそこの若造にいきなり店を継がせるなんて、無茶だとは思ったでしょうが、こんな(気性の荒い)性格なものだから、しぶしぶ受け入れたんでしょうね。
それで、いきなり薬局の経営者となったわけです。


それから、飲食業界へ進出したきっかけは?

私は那覇の出身です。薬局は小禄にありました。そこで薬局を経営しながらも、「親に無理矢理に店を継がされた」という思いがずっとあって、何か自分の力で始めてみたいと考えていました。

そんな時、本土の知り合いが回転寿司店の経営をしていて、元々、飲食業には興味があったのでやってみようと決めました。

そうはいっても、「薬屋」が「飲食店」始めるわけですから、親を含めて周囲からは当然、猛反対でした。
せっかく、親が頑張って一生懸命仕送りまでして大学まで出したのに・・・って感じでね。
その中で始めたものだから、私にとっては「飲食店」を続けるというのは意地とプライドの戦いでした。
「何が何でも成功させる!」と本当に必死でしたよ。

その甲斐あって、次第に軌道に乗ってきました。そんな時にモノレールの用地買収で(薬局の店を)立ち退きにあったていうのもありまして、もうこの際だからということで、薬局は辞めて飲食業に専念することにしました。


回転寿司から「沖縄そば屋」へといくわけですが。

個人的には「沖縄そば」が大変好きでして、「そば屋」をやりたいという思いは強かったんです。
それで、そば屋を開店する場所をずっと探していました。
そうしたら、この(与那原家の)古めかしい建物の感じが気に入りまして、ついにそば屋を始めることになりました。

ところで与那原という地域は昔から「そば」の名所だったんですよ。今は埋め立てられていますが、与那原の港はかつて山原船(やんばるせん)が往来したり、軽便鉄道(那覇―与那原)が走っていたりして非常に栄えた町だったんです。
その中でたくさんの「そば屋」が競合して「そば文化」が発展してきたんですよ。
だから、最初は“与那原”でそば屋を開店すると聞いた人からは、「与那原でやるんだって?老舗ばかりひしめいているところに?」とこれまた大反対でした(笑)。

でも、その時までに私は夫婦で沖縄各地のそばを相当食べ歩いてきて、家でも試行錯誤しながら作っていて、「よし、これならいける!」と踏んで開店の準備に入っていたから全然聞く耳なんてなかったです。

ところで、この店の名前なんですが・・・(中城村に)「仲村家」という国の無形文化財がありますよね。
私もそれに倣って「後世にのこる老舗を作りたい!」という想いから、「与那原家」と名付けました。


その思いのとおり、今では名実共に「与那原そば」といえば「与那原家」というブランドイメージが定着しましたね。

嬉しいかぎりです。でも商標登録としては地名が付けられない。だから厳密には「与那原そば」とは名乗れないんだけど、それでもそういう(ブランド)イメージがつくまでになったというのは、素直に嬉しいことです。


回転寿司も平行して経営されていたんですね。

1号店開店の時は那覇(小禄)で薬屋やっていたものですから、那覇で飲食店を始めるってのは抵抗がありました。
それでできるだけ、(自分を知ってる人のいない)遠くに行こうと(笑)。そこで当時繁華街として大変栄えた街だった普天間に目を付けて、そこで1号店の開店をしました。そこが軌道に乗ってからは、松山、国場と3店舗に拡大していきました。

寿司店を拡大していく傍らで「与那原家」を立ち上げた他にも、和食店やったり居酒屋やってみたりしました。その分、たくさんの店を潰しましたよ(笑)。そうこうして6,7年経った頃かな、「与那原家」をメインに集中するようになりました。

私はいろいろな店をやってきた経験から、時代の変化を感じとったものだけが確実に生き残ってきたのだと感じています。

ある居酒屋チェーンの例ですが、伸びる時期には一気に沖縄中に爆発的に広がった店舗が、ある時期を堺に一気に消えたりする事ありますよね。私は飲食店でも色の違うものをやってきたから、時代の変化を様々な角度から実感できました。そしてそれがあったから、こうして生き残ってこれたのだと思います。


最近は“沖縄ブーム”に乗ってか、沖縄そば屋の開店が多くなってきているようですが。

沖縄そば屋の開店に関しては、今に始まったことではなくて昔から変わらず多いですよ。(消えていく店も多いですが。)
その時(与那原家を開店した時)から私はずっと「沖縄そばも永遠じゃない」と言い続けてきました。

「沖縄そば界も変化せざるを得ない時代がくる!」とね。

最近はラーメン店も本土にあるような店が沖縄にもどんどん進出してきています。それに合わせて沖縄のラーメン店も変化していかざるをえないと思います。

私がそば屋を始めた頃、(今では与那原家の売りである)“あっさり味・こってり味”のようなやり方に、「それは沖縄そばじゃない!」と言われた事があるんです。
それと、先輩方に、「昔のそばが良かった」とか言われたこともありました。
ただ、私の考えは、昔の時代と今と比べたら、食べるものは本当に少なかったでしょう。今の時代はこんなにいろんな食べ物で溢れていて、今の若者は舌も肥えています。だから、昔のそばが「本物」で今のそばが「偽物」だという感覚は違うんじゃないかと考えてました。

昔のそばは、今とは違い小さな三枚肉と、かまぼこを乗せただけのシンプルなスタイルです。ダシは今みたいにふんだんに豚ガラを使う事なんてできなかったですよ。
豚は贅沢品でしたから。だから昔のそばを今の人が食べて、本当に「おいしい」と思うだろうか。
その時代には、その時代の“味”というものがあるでしょう。
時代の変化とともに、我々の舌も変化するということです。ということは、もちろん我々が今「おいしい」といってるそばも、20年後は「あんなのはそばじゃないよ」なんて言われてるかもしれないですよね。

「本物」と称することができる、明確な基準があればいいですよ。「ダシにはこれを使うこと」とか「麺はこうやって作ること」とかの基準です。そういう意味でない、「昔のが本物」みたいな議論は私には意味のないものだと思っています。



~第2章へ続く~


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Posted by CPマエモト(内気なコミュニケーションプランナー) at 09:00│Comments(0)起業家インタビュー
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